同僚のストレスをどうする?

 

私が職場で プロ用プリンターを専用室で操作していた時の話しです。

当時、会社でプリンターの操作をするのは、私ともう1人の同僚の2人でした。

日によって当番で変わるシフト制、私とその人が担当していました。

いつも そうだったのですが、とりわけその日の朝デスクは散らかっていました。

同僚は前日に、何も片づけをせずに帰ったのだと思いました。

その日、仕事前に支障が無い様に片付けをしてから、作業を始めました。しかしまた次の日も、同じ様な片づかない状態は続いたのです。

その人が多く、オペーレートの作業されていたので、私の分からない資料まで散乱していました。

率先して片付けしようにも、必要な物と不要な物の判別が難しい状態でした。

その方も私が使うことを、よく分かっているにも関わらず、その状態は続きました。

私は、その人が私のことを全く考えていないと思いました。それに仕事に対する意識も疑う気持ちになったのです。

だんだん片づかない様子を見ていると、かなりイライラするようになりました。

当番のために、なかなか顔を合わせることはありません。

本来は一つずつ、相手に確認するのがいいのですが、私の判断でドンドン捨てるようになりました。怒りの勢いのままに捨てていました。

「職場で複数の人が使う場所は、使い終わったら片づけるのは最低のマナーだ」

それができない人に、優しく配慮する必要はないというのが私の考えした。

私は、そう自分を正当化しました。

どこか自分のイライラする気持ちは強かった。「なんでイライラさせられなければいけないんだ」という怒り、理不尽な想いを感じることを避けていたのです。

 

目 次

私は被害者に違いない?

私は、心を学ぶセミナーに参加していました。あるセミナーに参加した時「投影」について学ぶ機会がありました。

投影は心理学で基本的なことです。以前に何度か、本で読んだことがありました。

投影は「自分の資質を他人に見ること」です。

ネガティブな感情の場合は、自分の資質を認めたくない時に、自分を守るために、他人にその面を押し付けることです。

職場で共同に使うデスクは、使いやすくなる方がいいでしょう。

そのことで必要以上に心が乱れているのは、投影に関係しているのではないかと気がつきました。

共同で使う場所は、誰が使ったとしても散らかしたままの状態では、仕事上 許されないという場合もあるでしょう。

その事実があったとしても、必要以上に激怒したり、強くイライラしたり、相手に怒りをぶつけたり、自分を混乱させるまでする必要はないはずです。

投影の話しから、そのことに思い至りました。

相手が悪いことをしている。相手は加害者で私は被害者。相手に迷惑を掛けられて、怒っている、感情を乱している。

一つ気づきがありました。

相手が片づけるか 片づけないかで、私は普通でいられなくなる。

私の感情なのに、相手の行動次第で、私はイライラしているなら、私に主体性が無くなってしまいます。

「片付けてほしい」そう相手に伝えるときも、自分が被害者として怒りまくりながら怒りをぶつけて言うのは、あまりかっこが良いものではありません。

人が見せてくれること

あらためて私は、自分専用のデスク、その机の中を眺めました。

ある程度、物は整理しているつもりでした。ですが引き出しの中を開けると、見事に物が放り込んであるだけの状態、何年も片付かないままで放置していました。

私は、私が片付けが苦手なことを、何処かで認めたくなかったのです。

その時、あらためて気がつきました。私が片付けが苦手なこと、怒りが出るのは、見たくない自分を、人に押し付けていた、見せられることに怒りを感じていたのだと気がつきました。

それから私は、片付けない相手を見た時に出た感情を、言葉で書き出すようにしました。

ある程度、溜まったところで、その言葉を自分に書き換えました。

○○さんは「だらしない、人のことなど考えていない」

○○さんは「なにも片付けられない、酷すぎる」などと書きました。とにかく気がついた感情を書くようにしました。

それでも、なかなか認めたくないことですが、○○さんと書いたところを全部「私」に書き換えました。

「私はだらしない、人のことなど考えていない」

「私は、なにも片付けられない、酷すぎる」かなり胸が痛むところを、感じながら書きました。

また鏡に向かって、同じ言葉を言いました。胸にザワザワくるものがありました。

もう一つセミナーの中「投影」で学んだことは、出来事と感情を切り離して見つめることです。

一般に、とっさに出来事に意味を付けています。これは良い事、これは悪いことと。出来事に、意味付けは私が行っているという学びでした。

相手にとっさに怒ってしまうのは、あれよという間に私は被害者になっていて、相手に怒りをぶつけているものでした。そのパターンから、ずっと抜け出せないでいました。

怒りでザワザワした時に、すぐに反応するのは間違えのもとと自分に言い聞かせて、自分の感情は、自分で責任を持つことができることを学びました。

必要以上に出来事に、心がブレてしまう時「私を癒す機会が与えられている」

そう唱えるように心掛けました。相手の人は、私にチャンスをくれている、私に被害を与えている訳では無いと心で思う様にしました。

世の中には、理不尽なことはあると思います。ですが少なくとも、自分の感情は自分で、主体的に選べるようになるというのは、自分のためになることだ、つくづく感じました。

投影を自分にとり戻す

人間関係で、自分が感じた感情はできるだけ書き出すようにしています。

その後、同僚の人が大きく変わったとは言えません。変われたのは、私の心情が大きかったです。

私が片付いていないデスクを見た時でも、イライラした怒りは、ほとんど出なくなりました。

あまり気にならなくなったと言えます。そういう意味で、心が平和になりました。

それ以降、できる範囲で自分から時々は、作業室を掃除するようになりました。

私は掃除好き、綺麗好きになった訳ではありません。

ですが掃除をする時は、好きでやる感覚で、掃除はできる様になりました。

苦手なことでも、平静に出来るので、心は軽くなりました。以前ならきっと、それも怒りになっていたでしょう。

同僚の人に時々「デスクを片付けしてほしい」と怒ることなく、伝えることはできました。

たぶん私の言い方が、柔らかくなかったかもしれません。

彼も片付けはかなり苦手の様ですが、ある程度は片付けをしてくれるようになりました。

片付けに端を発して、イライラ・ザワザワ人に来る時、それを自分の問題として捉える癖付けができました。

人間関係で、煩わしさが大きい時、以前なら全て人のせいにしてたものです。

自分を見つめることで解決できる鍵を手に入れることができた、そんな思いになりました。

まとめ

◆自分の怒りをまき散らして、相手に注意するのでは、望む結果は得られない。相手のことを思って、自分が平静な状態で伝えられることが大切。

◆良い感情、悪い感情であっても、相手に出た感情を書き出して、それを自分に置き換えることで、自分に対する見直しができる。

◆人間関係で感情が揺れた時、自分を見つめることができるチャンスになる。

自分で自分の感情に責任をもつことはできる。それにより人間関係を円滑にできる。

 

レッスン

◆同僚にイライラすることを、書き出してみましょう。認めたくない自分は、いると思いますか?

 

モトでした。

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