心の傷を癒す ポイント

 

数年、数十年の時が経っても、思い出したくないことはあるでしょう。

辛い出来事を「こんなことがあった」と人に話せるようになると、心は解放されていきます。

忘れたつもりでも、その時の感情はいつまでも残っていて、自分を縛っています。

あまりに辛い出来事は、自分を守るために思い出さなくなり、癒すことが簡単ではないこともあります。

できることなら、傷のままで放置しない方がいい。

無意識に縛られて、人生に影を落とすからです。

辛かった傷を癒すために、意識するポイントをお話していきます。

 

さて「塞翁が馬」の話はご存知ですか?

 

目 次

塞翁が馬

国境の砦近くに老人一家がいた。
ある日飼っていた馬が国境の外、北方異民の住むあたりに逃げていってしまった。人々が見舞いにやってくると老人は「今度のことは福を呼び込むかもしれんよ」と言います。
何か月かして、この逃げた馬が立派な駿馬を何頭も引き連れて戻ってきた。人々がまたやってきて「良かった良かった」と祝福すると老人は「これは災いをもたらすかもしれんよ」と言います。
この家は良馬を飼っていたのですが、ある日老人の息子が馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。人々が見舞いにやってくるとこの老人は「今度のことは良いことかもしれんよ」と言います。
それから一年が過ぎ、異民が国境を越えて侵入してきたので、体の頑健な男子はみな兵隊にとられ、彼らの多くは戦死しましたが、老人の息子は足を悪くしていたために徴兵を免れ、親子ともに命拾いしたということです。

何が幸運で、何が不幸か分からないという話。

ここから学べるのは、出来事には意味はなく、私たちが意味をつけていたということです。

一般的に財産が無くなれば不幸、財産が増えると幸運と思う人は多いでしょう。

出来事は、お金が増えたという事実があるだけで、良い悪いという意味はありません。

私たちが、幸運、不幸と出来事に意味を付けているということです。

不幸と思う出来事に、大きく傷つく人もいます。

傷にした出来事は、意味を付け直すことはできます。

これが、とても重要なことです。

お気づきでしょうか?

あなたの過去に、傷ついたことは起きたことでしょう。

出来事を変えることはできなくても、意味は変えることはできます。

その出来事で、明らかに失い傷ついたと信じたとしても。

そのことで、自分を否定してしまったとしてもです。

これまでは、出来事を無かったことにしたかもしれません。

痛みに耐えかねて、記憶に蓋をしたかもしれません。

本当は、出来事自体には意味は無かったのです。

間違った解釈をして、傷のままにしていることもあります。

意味を変えると、幸せをもたらすと信じにくいかもしれません。

 

こんな例は、どうでしょう。

仕事を失ったから、新しい仕事をえることになった。

親しい人を亡くしたら、別な人との絆が深まった。

失恋をしたから、新しい恋ができた。

ミスをした場合は、どうでしょう。

私がミスをしてしまった、大事なことを逃した

人にミスはつきものでしょう。

人に迷惑を掛けたというのは、見方がすこし狭かったかもしれません。

大きな発明は、多くのミスの上に成し遂げられます。

あきらめなければ、失敗ではありません。

一生に一度のことでも、そこから得た教訓はあるでしょう。

そのことがあって苦しかったけれど、人間的に一回り成長できた。

振り返ると、すこし長い目で自分の変化を見つめることはできます。

情報が不足した中で、良い悪いと判断したかもしれません。

完璧な人はいない

 人を許せない、親を許せないという時

 子供にとって親は、無条件で愛して欲しい存在です。

 私のことを愛して守って欲しい、当然と思うでしょう。

人に傷ついたら、相手に完璧を望みすぎたのかもしれません。

人を許せないことはあります。

過去に傷ついた、事実はあるでしょう。

親の態度に、深く傷ついた

上司なんたから、しっかりしてほしい。

愛を誓ったのに、裏切られた。

相手には完璧でいて欲しい、頼らせて欲しいと願います。

年を重ねて、親の立場に立つと少し分かってきます。

親の年齢になっても、深い愛で包み込める度量はできないかもしれない。

私たちは、それほど期待したのです。

あなたを傷つけた人も、精一杯やっていたのでしょう。

親になる人も、子供の時代はありました。

子供の時は、同じ様な傷を負っていたかもしれません。

相手の立場を知ることは、人を理解する手助けになります。

本当は対等の立場、そういう視点で見ることは、難しいかもしれません。

人は不完全な存在でしょう。

スピリチュアルな話の中に、私が親を選んで生まれてきたという仮説があります。

「私は親を助けるために、この家に生まれた、私が助ける側だった」

傷ついた時は、私は未熟だから、なぜもっと愛してくれないのかと思う

親を選んだ人なら、不完全なことは知っていた、自分にできる役割があると本当は知っていた。

自分を忘れていた。

自分や人を許せない時は、少し寛容になりましょう。

 あなたが傷ついたのは、相手を完璧だと誤解したから、全面的に期待したからかもしれません。

お互いに余裕がなかったのでしょう。

 あなたが傷にした出来事に、新しい意味を付けるとしたら、どんな意味になりますか?

 そのことによって今に至る、良い変化はありましたか?

 意味ある出来事として、意味をつけ直しましょう。

 

自分のことを話してみましょう

あなたが傷にしていたことは、恥ずかしいことではありません。

傷だと信じてしまったことです。

意味を付け直せば、もう傷にしなくていいと分かります。

その出来事から解放されます。

恥のように思っていると、人に話せないもの。

意味を変えて、自分にも人にも寛容になります。

許していきましょう。

人に自分の体験を話すのは、癒すためにとても良い方法です。

できるなら過去に傷ついた人にも、愛情を伝えるのは大きな挑戦になります。

過去を受け入れる意味で、役に立ちます。

気持ちを整理して、あなたが傷にした出来事を話してみましょう。

 

いま一度、その出来事を感じます。

辛かったこと、悲しかったことも受け入れます。

過去の出来事を話すことは、癒しの体験。

囚われる人生を、終わりにすることができます。

 

 

レッスン

○あなたにとって、傷にした出来事はどんなことですか?

 その出来事に、 新しい意味を付けるとしたら、どんな意味になりますか?

 今に至る、プラスの変化はありますか?

 

○その体験を人に話してみましょう。話す相手は誰にしますか?

 

モトでした。

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